芯、が必要。

もっともっと、
本当の意味で
自分の芯、が必要だ。


いつかはもっと強かった。
最近何だか
欠けてしまってた。
自覚は常にあるんだ。
もっと、「自分が生きてる実感が欲しい」
…ちょっと違うな。
「自分を生きてく手応えが必要」



もっとリアルに感じられるんだ。
私は、それを知っている。
このkihidaの日記を、毎日心のままを
感性のままに綴っていたあの頃。
確かに、リアルに自分を生きてた実感が
強かったように思う。
自分が何に惹かれて、
本当に、どうありたいのか。
その分、かなりしんどかったのも覚えてる。
真剣に向き合えば向き合うほどに、
しんどいのは当たり前だ。
その分、自分が自分の生き方を
ひとつひとつ選択している実感は強かったし、
しんどかった対価のように
楽しさも大きく深いものだった。



最近が全くそれを失ってる、と、いうことではない。
例えば、結婚したこと、彼を生涯のパートナーと選んだことへの
自分自身の意志や生きる喜びは大きい。
真剣に悩んで喜んで、自分で掴みとった自覚、生きがいは大きい。


仕事のこと、
過ごす場所やスタイル。
何だか、自分の本当のありたいカタチって、
本音の深い部分って、
どんなもの?
なんだか、自分と向き合って深く考えることが、足りていない気がする。
曖昧に流されているからこそ、
周りに不満、不足を見つけ、
それ以外を美化し、
そこからの脱却ばかりを、あたかも自分の本当の望みのように目的化していないか。
脱却は、方法論であり、
それを叶えたとしても、
真の目的、ビジョンがなければ、
きっと、堂々巡りは終わらない。


では、どうやって真の目的を確立するか。
多分、これが実践よりも何よりも重要で、
何よりも時間がかかる。
0 と 1 の違い。


悩むなら、動きながら悩むべし。
動かないなら、悩むのをやめろ。
動かないと、新たな情報収集すら出来ない。
悩み、少しでも進んで、また悩むためのきっかけ探しのようなものか。
それでも動かないなら、その程度。
動かないのに、悩み続けることは、現在ある状況にとっても、効率が悪く、悪影響。
具体的に、具体的に。


その前に、
芯を、
軸を、
リアルに掴みたい。