*今日という日

1.17
兵庫県内の人なら、すぐにわかる人が多いだろう。
私は被災しなかったけれども、自分なりに思うことは、ある。
 
 
 
 
 
当時小学一年生だった私は、揺れには気付かず、
朝のテレビの映像に声も失った。
NHKでは、亡くなられた方々の名前が、画面いっぱいに現れては、また新たな名前が現れる。
青い背景に 白い文字。
まだ思い出せる。
 
 
 
幼いながらに何かを感じ取り、気付けば静かに泣いていた。
この人はどんな人やったんやろ。
どこに住んで、誰と生きて、何を思って亡くなられたことか。
多分そんなことを思った。
きっと今の私もそんなことを思うだろう。
 
 
 
 
 
他県に来て、
この出来事についての他の地域の子たちとの温度差を感じ、少し衝撃だった。
 
今日も笑いながら「忘れてたー」と。
地震について話してても、他人ごとといった風。
「そりゃそうだろ」って言われりゃ、もっともですが
やはり温度差を感じてしまう。
そんなものなのか?
 
 
 
確かに、地元のテレビだったら今日前後の数日間は特に手厚く熱心に特別番組を放送していたし、
各学校では一分間の黙祷が当たり前だった。
 
 
 
今ここでは、そんな特番してるのはNHKくらいだ。
これ観ている人は、何人いるのだろう。
 
 
 
 
ぎりぎりの状態、混乱、混沌。
沢山の重大な判断。
もしも私がこのような状況のなかにいたら、どんなことが出来るだろう。
どんな判断をするのだろう。
最もいい在り方とは、どのようなものだろう。
学ばなければならないことは尽きない。
そして、学び「続け」なければならないよね。
当事者意識を抱いて。
 
 
 
 
 
NHKスペシャル阪神・淡路大震災  秘められた決断』